先日、ネットのニュースを見ているとこいういう記事がありました。
— K (@B_SIDE_JOURNAL) 2019年2月16日
記事の内容を要約すると、
幼少期に親族からの虐待を受けて育った少年。
虐待が原因で児童養護施設に送られた少年は非行の道に進み高校を中退。
その後、空き巣・恐喝・傷害事件を犯して少年院に入ってしまった。
少年院を出所した彼は悪友の誘いに負けて再び罪を繰り返してしまい、その後何度も少年院に出入りする事になる。
21歳で少年院を出所。やりがいのある仕事に就いた事をきっかけに悪友との接触を絶ち、まともな社会生活を送るようになった。
23歳になった現在、年収1,000万円を稼ぐようになった。
という様な内容です。
よくある内容の記事ですが、私はこの記事のコメント欄に強い憤りを感じました。
内容が以下です。
・悪い事をしないのが当たり前なのに、更生したぐらいで美談にするな。
・犯罪を犯したのに、今が良ければすべて良しみたいな考え方はおかしい。
・その裏で泣いてる人や被害者がいるのに自分だけ良ければいいのか。
信じられない事に、このコメントは「良いね」の数が1位でトップに表示されています。
どういう思考でこのようなコメントを書いたのでしょうか?
過去の罪をいつまでも反省してないで、さっさと上書き修正しましょう
私はこの記事が、”彼と同じような境遇で苦しんでいる人”、”非行から足を洗いたいがどうしたらいいか分からない人”に対しての、有用なメッセージであると感じます。
この記事から「NPO法人に頼る方法」、「お金を稼ぐ側になってはじめて被害者の気持ちが理解できる」などの気づきを得る事もできます。
顔や本名を晒して記事にされる事は、彼にとってデメリットしかありません。
とても勇気の要る行為です。
少なくとも、美談にされたくてわざわざ取材を引き受けたわけではないと思うんですよね。
当然、被害に遭われた方への損害賠償や償いは継続しなければいけませんが、
だからと言って「目立つな」「日陰で質素に暮らしてろ」という風潮には違和感しかありません。
過去は変えられない → だからこそ大人しくなってはいけない
誰の心も傷つけずに今まで生きてきた人なんて居るのでしょうか?
多かれ少なかれ、誰にでも反省すべき過去があります。
それらの過去はもう起きてしまった事なので変えることができません。
今から出来る事は、善行を重ねて過去の罪を相殺するしかないのです。
例として、
- 過去に窃盗で服役していた人 → 出所後に窃盗の手段を公開して防犯セミナーを開く
この方が、社会復帰して普通に仕事をこなすだけでも少しの進歩です。
さらに、自分の体験を公表することで、同じ境遇の人に向けてポジティブな影響を与えるならば立派な善行と言えるのではないでしょうか?
人生は上書きです
100%善人なんてこの世の中に居ません。誰でも悪いことの1つや2つやってるはずです。
私も同じように、子供の頃に友人や大人に対して吐いた暴言を思い出し、恥ずかしさと共に胸が苦しくなる時があります。
昔を思い出して「自分はなんて馬鹿だったのか」と。
幸いな事に人間は反省するように出来ています。
気力と体力のある若い頃は心が傲慢になりがちですが、大人になって少しずつ反省する事が増えてくるように思います。
人間の寿命が80年とすると、大人として60年間生きる事になります。
短いようで長い残りの人生を善行で上書きする事しか出来ないのです。